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2027年02月07日

女王国から東へ千余里海を渡ると存在する倭人種の国々?


魏志倭人伝には、女王国の東に渡海すること千余里、同じく倭人の国々が存在していると記載されている。
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。

女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
引用元:『三国志魏書』倭人伝(通称:魏志倭人伝)


まず最初に、距離に関しての記述だが、魏志の場合は、信憑性が薄いと思われる。

次に「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」の記述は、東の海を渡ったところを本州や四国として解釈して、そのことにより邪馬台国九州説を支持する傾向が強い。逆に畿内説論者は、東の海を渡ったところを、琵琶湖東岸や三河方面だと解釈することが多い。が、全体的にみると、この記述は、九州説論者が強く主張する材料になっているようだ。

一方、侏儒國、裸國、黒歯國などについてだが、これらの国々は古代中国の伝説上の国である。世界の果てに伝説上の国をつなげただけとも言われ、これらの国々が直接、倭(日本)との地理的な関連性があるとは思えない。

「參問倭地」とあるが、「周旋可五千餘里」は女王の支配する「倭国」の事だろうか、それとも、他の「倭種の国」も含めているのだろうか?後者なら、魏の使者は他の「倭種の国」へも行ったのだろうか?

いずれにせよ、全体的に信憑性の薄い記述であり、魏志の著者がどれだけ正確な情報を持ち合わせていたかは分からない。さまざまな情報を繋ぎ合わせて解釈していったら、辻褄の合わない記述になった可能性がある。


で、次に、後漢書の同箇所についての記述があるのだが、魏志とは違う見解も持っている。
自女王國東度海千餘里至拘奴國。雖皆倭種、而不屬女王。自女王國南四千餘里至朱儒國、人長三四尺。自朱儒東南行船一年、至裸國、黒歯國、使驛所傳、極於此矣。

女王国より東に海を渡ること千余里で拘奴国に至る。いずれも倭種とはいえども女王には属していない。女王国より南に四千余里で朱儒国に至る。そこの人の身長は三〜四尺。朱儒より東南に航行すること一年で裸国と黒歯国に至る。使訳の伝える所はこれに尽きる。
引用元:『後漢書』倭人伝


後漢書では、女王国から東の海を渡ったところを、拘奴国(狗奴国?)としているのだ。これは、正確なソースがあったのか、あるいは、魏志や魏略などの前の時代に書かれた史書をも基に、後漢書(後漢書は魏志や魏略より後世に書かれた史書)の著者が勝手に想像して解釈したのかは分からない。前に書かれた史料である魏志などに、女王国の東の海を渡ったところに、女王国に属していない倭人の国があると書いてあるわけだから、後漢書の著者が勝手に、そこに狗奴国があるんだろうなと解釈したのかもしれない。


まあ、いずれにせよ、これら魏志や後漢書の記述は、倭についての記載よりも、古代中国の伝説上の国々の侏儒國、裸國、黒歯國などについて語るために、無理に倭と関連させて記載されたもののように思え、これらの記述の信憑性は非常に疑わしいと思える。




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posted by 邪馬台国総論 at 15:57 | TrackBack(0) | コンテンツ

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