邪馬台国をはじめ、日本の古代史の解明を困難にしているのは、日本側の文献の研究が大きく停滞しているのが大きな原因である。
日本側の現存する最古の文献が、西暦8世紀初頭に編纂された古事記や日本書紀であり、これらの文献に書かれている年代が大きく矛盾している。これらに書かれている記載、人物の寿命や天皇の在位期間が異様に長かったりし、また、古事記と日本書紀との間にもズレがあって、それが文献解明への大きな障害になっている。
記紀の研究は、戦前は皇国史観の影響で大きく制限され、戦後は戦前の皇国史観への強い反発からマルクス史観などの台頭で逆の意味で大きく制限されてしまったのが大きな要因である。
では、これら日本書紀や古事記が全くの出鱈目なのか?そんなことはない。日本の古代史を解明する上で、日本書紀や古事記の研究をすることは、非常に重要なことだ。
では、日本書紀や古事記に書かれている不可解な年代は、どうやって誕生したのだろうか?そのへんを詳しく分析できれば、日本古代史の解明に大きな前進をもたらすと思う。
一般的に、日本書紀や古事記に記載されている異様に長い寿命や天皇の在位期間は、上古代の日本が二倍年暦だったのが大きな要因だと言われている。
(参照ページ:二倍年暦・春耕秋収をはかり年紀となす)
しかし、古事記の場合、記述自体が少なく、年代についても、天皇の寿命とか干支崩年という曖昧な形でしか年代が記載されてなくて、日本書紀の場合、二倍年暦だということを計算していても、日本書紀に書かれている年代の矛盾を修正することが出来ない。
これらのことから、二倍年暦だけを考慮しても、上古代の日本の年代を解明することが無理なことが分かる。では、どうすればよいのだろうか?
まず、古事記の場合は、日本書紀に比べて、書かれている量も圧倒的に少なく、年代に関しても、天皇の寿命や干支崩年という曖昧な記述しかなく、古事記の著者の意図的な改竄の可能性は小さいように思う。むろん、古事記は稗田阿礼の暗礁を少人数で記録したものであり、古事記の著者の勘違いや記憶違いの箇所もあるだろうが、何か意図的に改竄するという必要性は感じられない。
一方、日本書紀の場合は、古事記と違って、日本国家から正史と見られていた書物であり、書かれていることも膨大で、年代に関しても、事細かに書いてある。そのために、古事記よりも詳細に歴史を知りやすい反面、編纂者や国家の思惑も大きく影響を受けた可能性も非常に強いと思われる。とくに、年代に関しては、かなり引き伸ばしや改竄が加えられた形跡があり、辻褄が合わないことや矛盾が大きく生じている。
では、日本書記に書かれている年代のどこに改竄が加えられているのか?
日本書紀の年代は、編纂者側の意図的な改竄を受けた箇所は、神武天皇即位紀元「辛酉年春正月庚辰朔」の箇所と、神功皇后の在位期間(魏志倭人伝に出てくる倭の女王の時期に近い)である。これらのために、他の天皇の箇所の年代などを意図的に改竄・引き延ばしをした可能性が高い。
日本書紀の編纂者らは、上古代の日本の暦が二倍年暦だったことに気がついてなく、そのことを考慮しないまま、歴史書を記していた可能性が高い。このことは、二倍年暦を考慮しないままの年代で神功皇后を卑弥呼の年代に合わせようとしたことや、応神天皇の出生に関して、苦し紛れの言い訳を無理にしたことから分かる。
(参照ページ:日本書紀の編纂者は神功皇后を女王卑弥呼だと考えた)
また、改竄ではない別の要素としては、一部の天皇と天皇との間に、在位期間がダブっていたりしている可能性がある。これは、ある天皇が生存期間中に譲位をしたり、皇位継承争いで天皇が二人いた時代があったからなのでは?と思われる。これは、日本書紀に記載されている先帝の葬られた時期からも想像できる。
(参照ページ:古墳と記紀・日本書記にある天皇陵墓の記述)
以上のことをまとめると、次のようになる。
日本記紀の年代の謎
- 日本書紀の前半部分の天皇の在位期間や寿命が長い理由は、その時代の日本の暦が二倍年暦(現在の一年を二年と計算)だったからである。
- 日本書紀の編纂者は、二倍年暦だったことを考慮しないまま神功皇后の活躍年代を魏志倭人伝の女王の活躍期間の年代に合わせようとしている。そのために、彼女の後に活躍した天皇の在位期間を改竄して引き伸ばしをしている可能性がある。
- 応神天皇の出生については、二倍年暦だったことを考慮すれば生物学的に問題ではないが、日本書記の編纂者は、かつて二倍年暦だったことを知らなかったために、応神天皇の出生を不審に思い、無理な言い訳をして納得しようとしている。(ただし、生物学的には問題ないが、夫の仲哀天皇の崩御後に産まれた子供ではあるので、古代の人から見たら、あまり好ましいことではなかったのかもしれないが...)
- B、Cから、日本書紀の編纂者は、上古代の日本の暦が、二倍年暦だったことに気がついてなかったように思われる。日本書紀が編纂された西暦8世紀の日本にとって、かつて二倍年暦だったことは完全に忘れ去られていた可能性が高い。
- 日本書紀の編纂者は、神武天皇即位紀元を革命年である「辛酉年春正月庚辰朔」にするために、一部の天皇の在位期間を改竄・引き伸ばしをしている可能性がある。
- 皇位継承時の混乱によって、日本書紀に記載されている天皇の在位期間に混乱がある可能性がある。一部の天皇と天皇との間に、在位期間がダブっていたりしている可能性があり、これは、ある天皇が生存期間中に譲位をしたり、皇位継承争いで天皇が二人いた時代があったからなのでは?と思われる。
- 古事記は、年代に関して、天皇の寿命や干支崩年という曖昧な記述しかなく、古事記の著者の意図的な改竄の可能性は小さい。間違っていても、それは意図的な改竄ではない可能性が高い。