上古音 | 中古音 | 推定音 | 備考 | ||
女王 | 卑彌呼 | pieg-mier-hag | pie-mie-ho | ヒミホ | 人名か?倭迹迹日百襲媛(やまととびももそひめ) |
卑弥呼(ひみこ、生年不詳 - 248年頃)は、日本の弥生時代後期における倭国の女王(倭王)。邪馬台国を治めた。封号は親魏倭王。後継には親族の台与が女王に即位したとされる。
三国志の卑弥呼
魏志倭人伝の卑弥呼
魏志倭人伝によると、「卑彌呼 事鬼道 能惑衆」卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという(この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明)。「年已長大 無夫壻」年長大であったが夫を持たず、「有男弟佐治國」弟がいて彼女を助けていたらしい。「自爲王以來 少有見者」王となってから後は、彼女を見た者は少なく、「唯有男子一人給飮食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設」ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた。 「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。
魏書帝紀の俾弥呼
『三國志』(三国志)の卷四、魏書四、三少帝紀第四には正始四年に「冬十二月倭國女王俾彌呼遣使奉獻」とある。
年譜
中国の歴史書による。
桓帝・霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱の時代。その後、邪馬台国を治めていた卑弥呼を共立し、倭を治める。
239年 - 難升米らを中国の魏に派遣。親魏倭王の金印と銅鏡100枚を与えられる。
243年 - 魏に遣使。