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2027年01月12日

地政学的見地からみた裏日本地図


邪馬台国の所在地を探る時に限らず、我々現代人は北東アジアや日本列島の地図を調べる時に、下のような「北」を上にした地図を見ていないだろうか?


現在、日本人がよくみる地図



しかし、古代中国人、特に帯方郡の中国人や、当時の日本人(倭人)にとっての地図とは、どういうものだったのだろうか?

まず、注目すべきことは、地政学的に置かれた状況の違いによって、その国々や人々に見える地理観は、全く異なったものになるということだ。

古代の中国人や日本人にとっては、両者の交流を考えた上では、日本列島側の港で重要な地域は、日本海側、東シナ海側の沿岸部だったことは容易に想像がつく。

しかし、近代以降の日本列島の国際関係上の重要な沿岸部とは、日本海側沿岸部ではなく太平洋側沿岸部なのだ。現在、日本の主要都市の殆どが、太平洋側に面した地域に存在している。

なぜなら、近代以降の日本周辺の国際環境は、交通や通信の発達によって地球が狭くなり、前近代にくらべて、日本の対外関係における北東アジア地域(中国大陸・朝鮮半島)の占める影響度が小さくなり、むしろ、日本から見て太平洋側に存在する アメリカ大陸、オセアニア地域、東南アジア、南アジア、中東などが占める影響度が激増したからだ。

逆さまに見た日本地図。



となると、卑弥呼の時代の古代人の地理観とは、古代日本と中国帯方郡の国際交流を考えた場合、現在のような太平洋沿岸部は頭に入ってなくて、その大部分が日本海側の沿岸部であり、あと長江周辺の中国人にとっては、東シナ海沿岸部だったわけである。

そのことを頭に入れた上で、魏志倭人伝の記述を解読しなきゃいけない。

また、当時の航海技術は、現在のように機械化されていたわけではなく、基本的に人力や風などの気候条件に頼っていたわけであり、それらの諸要因が、古代人たちの地理観に大きく影響したのは、容易に想像がつくのである。


古代の大陸から見渡した日本列島。
それは日本海を囲むようにに広がる日本列島である。

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posted by 邪馬台国総論 at 16:16 | TrackBack(0) | コンテンツ
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